生きる意味とは

生きる意味とは

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「生きる意味は何か」

この問いは、人類が繰り返し問い続けてきたものである。

そして、大きく二つの答えが用意されてきた。意味は「与えられるもの」なのか、「自ら創るもの」なのか。

しかし、その二つの間に、もう一つの道があるように思う。


与えられた意味

唯一神を信仰する宗教において、生きる意味は神から与えられるものである。

人は神の意志のもとに生まれ、神の計画の中で生きる。苦難にも意味があり、喜びにも意味がある。すべては神の摂理のうちにある。

この世界観の中では、「生きる意味は何か」という問いに対する答えは、すでに存在している。人間がすべきことは、その意味を「発見」し、「受け入れる」ことである。

この考え方は、安心をもたらす。意味は揺るがない。自分で創り出す必要もない。

しかし、その神を信じられない人にとって、この道は閉ざされている。


自ら創る意味

近代以降、特に実存主義において、生きる意味は自ら創り出すものとされるようになった。

サルトルは「実存は本質に先立つ」と言った。人間は、まず存在し、そこから自らの本質を創り上げていく。意味は与えられるものではなく、自分で創造するものである。

ハイデガーは、人間を「存在を問う存在」として捉えた。他の存在者と異なり、人間だけが「存在するとはどういうことか」を問うことができる。そして、死という有限性に向き合うことで、人は本来的な生き方に目覚める。

フランクルは、さらに一歩踏み込んだ。ナチスの強制収容所という極限状況を生き延びた彼は、『夜と霧』の中でこう記した。

「私たちが人生に意味を問うのではない。人生が私たちに問いかけているのだ」

これは興味深い転換である。意味を「探す」のではなく、人生からの問いに「応える」こと。受動から能動への逆転。

この考え方には、自由がある。意味は自分で創れる。誰かに与えられるのを待つ必要はない。

しかし、その自由は、同時に重荷でもある。すべてを自分で背負わなければならないという孤独。


第三の道——縁と育てる意味

私は、この二つの間に、もう一つの道があると考えている。

生きる意味とは、与えられるものでもなく、自分が与えるのでもない。

意味という決定的で断定的で明確な答えは、存在しない。

私たちに与えられているのは、命という縁である。人との縁、自然との縁、あらゆる存在との縁。自分の意志で選んだわけではない。しかし、確かにそこにある縁。

生かされているという事実に真摯に向き合う中で、私たちは関係性を築いていく。その関係性の中で、生きる意味は少しずつ積み重なっていく。

これは「発見」でも「創造」でもない。「育てる」という営みである。


日本的な感性との共鳴

この考え方は、日本的な美学や世界観と深く共鳴する。

「縁」という言葉には、自分ではコントロールできないものへの敬意がある。出会いは偶然であり、同時に必然でもある。縁は選ぶものではなく、結ばれるものである。

「間」という概念がある。西洋では、存在と存在の「間」は空虚とされることが多い。しかし日本では、「間」こそが意味を生む場所である。関係性の中にある「間」。そこに何かが育つ。

「不完全の美学」がある。侘び寂びの世界。完成しないこと、終わらないことに、美を見出す感性。生きる意味もまた、完成しないものとして捉えることができる。

偶然を受け入れ、不完全を愛し、関係性の中で何かを育てていく。この感性は、「与えられた意味」の絶対性とも、「創り出す意味」の孤独とも異なる。


積み重ねるという決意

しかし、これは単なる受動ではない。

縁は与えられる。しかし、その縁と向き合うかどうかは、自分で決める。

「積み重ねていくことを諦めない」という決意。それは、ハイデガーが「決意性(Entschlossenheit)」と呼んだものに通じる。本来的な自己として生きることを選ぶという決断。

フランクルもまた、「最後の自由」について語った。すべてを奪われた収容所の中でも、「与えられた状況にどう向き合うか」を選ぶ自由だけは奪えない、と。

縁は選べない。しかし、縁と向き合う姿勢は選べる。

日々の小さな積み重ね。関係性を育てること。真摯に向き合うこと。それを諦めないと決意すること。

その営みの中で、生きる意味は育っていく。


結語

生きる意味とは、与えられた縁と真摯に向き合い育てていくものである。

命尽きるまで答えなどなく終わりもない。

それは、命尽きるまで育て続けられるということでもある。


参考文献

  • Frankl, V. E. (1946). …trotzdem Ja zum Leben sagen: Ein Psychologe erlebt das Konzentrationslager.(『夜と霧』)
  • Heidegger, M. (1927). Sein und Zeit. Tübingen: Max Niemeyer Verlag.(『存在と時間』)
  • Sartre, J. P. (1946). L’existentialisme est un humanisme.(『実存主義とは何か』)