物と価値観

物と価値観

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道具が課す「すべき」

私たちは日常的に、多くの物に囲まれて生きている。

その物たちは、ただそこにあるだけではない。高級な食器は「丁寧に扱え」と語りかけ、ブランドのバッグは「ふさわしい自分であれ」と要求する。物は沈黙しているように見えて、実は多くのことを私たちに課している。

価値観が「すべき」という義務でも「したい」という願望でもないように、本来、道具もまた何かを強いるものではない。しかし現代において、多くの物は所有者に対して暗黙の期待を抱かせる存在になっている。

物の選び方は、価値観の問題である。


用の美という思想

柳宗悦と民藝運動

1926年、思想家・柳宗悦(やなぎ むねよし)は「民藝」という言葉を生み出した。民衆的工藝の略語であり、名もなき職人が作る日常の生活道具の中に、美術品に劣らない美しさがあるという主張である。

柳は『民藝とは何か』において、民藝品の特徴を以下のように記している。

作る折の心の状態も極めて無心なのです。とりわけ美意識等から工夫されるものではありません。 — 柳宗悦(1941)

柳が見出したのは、無心の美である。作り手が「美しいものを作ろう」という意識を持たず、ただ用途に忠実に作られた道具には、かえって深い美しさが宿る。これを柳は「用の美」と呼んだ。

この思想の核心は、自我の不在にある。「私が作った」「私の作品だ」という主張がない道具は、使う人に何も課さない。ただ静かにそこにあり、その目的を果たす。

深澤直人と「ふつう」の追求

柳宗悦が創設した日本民藝館の現館長であり、無印良品のデザイナーとして知られる深澤直人は、この思想を現代のプロダクトデザインに継承している。

深澤は自らのデザイン哲学を「Without Thought(思わず)」という言葉で表現する。人が無意識に行っている行為の中にデザインのヒントがあり、その行為に「溶ける」ようなデザインを目指すという姿勢である。

深澤は『デザインの輪郭』において次のように述べている。

デザインとはかたちをつくることではなく、それぞれの”もの”がいくつもの選択を通りぬけたあとに残った、最終的な「あるべき姿」を浮かび上がらせること。 — 深澤直人(2005)

深澤が追求する「ふつう」とは、平凡という意味ではない。誰もが当たり前に感じていることの核心であり、特別であろうとする意図から自由になった状態である。

ディーター・ラムスの十原則

ドイツの工業デザイナー、ディーター・ラムス(Dieter Rams)は、Braun社の製品デザインを通じて20世紀のデザイン思想に大きな影響を与えた。彼のデザインはApple製品にも影響を与えたことで知られる。

ラムスは1970年代後半、「良いデザインとは何か」という問いに対して十の原則を定義した。その中で特に重要なのが、第五原則である。

良いデザインは控えめである(Good design is unobtrusive)

目的を果たす製品は道具のようなものである。装飾品でも芸術作品でもない。したがってデザインは中立的で抑制的であるべきであり、使用者の自己表現の余地を残すべきである。 — Dieter Rams(1976)

ラムスの哲学は「Weniger, aber besser(より少なく、しかしより良く)」という言葉に集約される。本質的なものだけを残し、余分なものを削ぎ落とす。それは単なるミニマリズムではなく、使う人の自由を守るための思想である。


透明な道具

三者に共通する洞察

柳宗悦、深澤直人、ディーター・ラムス。時代も文化も異なる三者が、同じ地点に到達している。

それは、良い道具は存在感を消すという洞察である。

柳の言葉で言えば「無心」、深澤の言葉で言えば「行為に溶ける」、ラムスの言葉で言えば「控えめ」。表現は異なるが、指し示しているものは同じである。道具が道具として完成するのは、使う人がその道具を意識しなくなったときである。

これを「透明な道具」と呼ぶことができる。

透明な道具は何も主張しない。「私を見ろ」とも「私を大切にしろ」とも言わない。使う人の意識を道具そのものではなく、道具を使って達成しようとしている目的に向けさせる。

存在感の両極

物の存在感には二つの極がある。

過剰な存在感:高級品やブランド品は、しばしば過剰な存在感を持つ。それは「この物を持っている私」というアイデンティティを要求する。所有者は物に見合った暮らしを強いられ、物を維持するために生活を調整し始める。本末転倒である。

負の存在感:一方、安価で粗悪な物は、そのチープさによって負の存在感を放つ。使うたびに「これでいいのか」という疑念を生じさせ、自己否定の契機となる。

透明な道具は、このどちらでもない。視界に溶け、意識から消える。しかし必要なときには確実に機能する。存在感がないことが、最高の存在証明となる。


価値観に基づく選択

外発的な選び方

多くの人は、物を選ぶとき外発的な基準に依拠している。

「流行っているから」「みんなが持っているから」「ブランドだから」「安いから」「SNSで見たから」。これらはすべて外側からやってくる基準であり、自分の価値観とは無関係である。

外発的な基準で選ばれた物は、外発的な「すべき」を課してくる。流行で選んだ物は「流行に乗り続けろ」と要求し、ブランドで選んだ物は「ブランドにふさわしくあれ」と要求する。

これは、信念が価値観を覆い隠すのと同じ構造である。外から投げ込まれた基準が、本当に大切なものを見えなくしている。

価値観からの選び方

価値観に基づいて物を選ぶとは、「この物が自分の目的に仕えるか」を問うことである。

ここで重要なのは、目的とは快楽ではないということである。柳宗悦が「用の美」と言ったときの「用」は、単なる物理的な機能のことではない。柳は次のように述べている。

ここに用というのは、単に物への用のみではないのです。それは同時に心への用ともならねばなりません。 — 柳宗悦(1941)

心地よさのために物を選ぶのではない。自分が本当に達成したいこと、没頭したいこと、向かいたい方向。それらの目的に仕える物を選ぶ。そのとき物は透明になり、目的だけが残る。

選択の基準

透明な道具を選ぶための基準は、以下のように整理できる。

観点問い
継続性この物は長く使い続けられるか。素材は劣化しにくいか
維持の容易さこの物を維持するために、どれだけの労力が必要か
主張の不在この物は「すべき」を課してこないか
調和この物は空間の中で浮かないか、溶け込むか
目的への奉仕この物は自分の目的を助けるか、妨げるか

これらの問いに答えることは、自分の価値観を確認することでもある。何を維持したいのか、何に時間を使いたいのか、何に意識を向けたいのか。物の選択は、価値観の表明である。


空間と意識

物が意識を方向づける

物は単に空間を占めるだけではない。物は意識を方向づける。

散らかった部屋では、視線があちこちに引っ張られる。高級な調度品に囲まれた部屋では、「この空間にふさわしい自分」であることを常に意識させられる。物の配置と選択は、そこで過ごす人間の意識状態を規定する。

脳科学の知見によれば、人間の脳には「デフォルトモードネットワーク(DMN)」と呼ばれる機能がある。これは脳が「何もしていない」ときに活性化し、情報の整理、記憶の統合、創造的な発想を担う。

視覚的なノイズが多い環境では、脳は常に情報処理モードにあり、DMNが活性化する余地がない。透明な道具で構成された空間は、意識を解放し、思考に余白を生む。

美術館と寺院の間

理想的な空間は、美術館と寺院の中間にある。

美術館の特徴は、余白と集中である。白い壁、自然光、静寂。視線を向けるべき対象が明確であり、それ以外の要素は最小化されている。

寺院の特徴は、自然素材と不可視への敬意である。木、石、紙。時間の流れが緩やかになり、目に見えないものへの意識が開かれる。

この二つを統合した空間は、創造のための場となる。主張する物がなく、維持の負担が少なく、意識が自由に動き回れる空間。そこでは物が消え、目的だけが残る。


結語

物の選び方は、価値観の問題である。

私たちは日常的に、気づかないうちに外発的な基準で物を選んでいる。そして選ばれた物は、外発的な「すべき」を課し続ける。物に囲まれているはずが、物に囲い込まれている。

柳宗悦、深澤直人、ディーター・ラムスが示した道は、その囲い込みからの解放である。用に徹する。無心で作る。控えめであれ。存在感を消せ。

透明な道具を選ぶことは、自分の目的を選ぶことでもある。物が消えたとき、残るのは自分自身の向かいたい方向だけである。

価値観とは、失ったら自分を許せないものである。物に課される「すべき」を脱ぎ捨てたとき、その価値観はより明確に見えてくる。


参考文献

  • 柳宗悦(1941)『民藝とは何か』講談社学術文庫(2006年復刊).
  • 柳宗悦(1928)『工藝の道』講談社学術文庫.
  • 深澤直人(2005)『デザインの輪郭』TOTO出版.
  • 深澤直人(2020)『ふつう』D&DEPARTMENT PROJECT.
  • Rams, D. (1976). Ten Principles for Good Design. Vitsœ.
  • Schwartz, S. H. (2012). An overview of the Schwartz theory of basic values. Online Readings in Psychology and Culture, 2(1).